昨日急遽ある友人とランチを共にすることになった。その友人は”これからの10年飲み会”に都合がつかず、参加できなかったが
私の議事録を早速読んでくれたようで、自然とその話になった。その中で有益と思えた部分を抽出して下記に述べたい。
1.Open Sourceに参加する事とは
彼はたった一度、しかも(彼曰く)非常に簡単な変更のみだけど参加したことがあるという。
「普段使ってるツールで、ある時Bugを発見したのでソースを見たらすぐに修正すべき箇所が見つかった。それで直してFeed Backしただけだよ」
このプログラムには3000人のエンジニアが参画し。。。などという記事を見たりするがその多くはこういった”ついでに”とか”タダで使ってるからお返しに”ぐらいの軽い気持ちの人が多いのではないだろうか。
皆が気合いれて、毎日2時間はこのソースに時間をさくぞ!などと力の入ったエンジニアは極一部で、しかも比較的若く・実績のない人が多くを占めるのではないだろうか。
…と考えるとOpen Sourceを囲む人達の雰囲気と彼等の参画する動機などの全体像が見えてきて納得。 と、同時に寂しく感じた。
怪しい・妖しいと感じてきたOpen Sourceに知らず知らずちょっとした夢を感じていたのか、現実を突きつけられたようなさみしさだ。
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奇しくも、その日の梅田氏のエントリーは”
「オープンソース開発者の7割がヨーロッパ」は本当?”であり、ちょうどこのランチの直後に拝見したため、「やはりモノを持たない者が何かを成し遂げようとした時、チャンスがあるOpen Sourceに力を注ぐのだな」 と下衆な考えと共に一人で納得していた。
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2.HardwareでOpen Sourceはありえない
先の項であげた例のように、Open Sourceの参加の仕方として大多数を占めるのが”ちょっとした”Debugであり、またこれを下支えしているのは実装への簡便さであろう。というのも。。。
自分の変更内容がすぐに反映され、市場製品に影響を及ぼし、皆が喜ぶ。
これは単純に楽しい。 しかも簡単にできてしまう。
一方、Hardwareではどうだろう?
すでに市場で使われている製品で、Bugを発見し、仮にそれを直すことができたとして、「さぁどうぞ、作り直してください!」と息巻いた所で何も起こらない。 仮にできたとしても半年後。 しかも自分の手元にある製品に適用される保障はまるでない。
こういった場合SoftwareでWorkaroundを入れるのが常識で、それでもだめなら「仕様です」と開き直るか、次世代マシンを待つしかないのである。
Open SourceのよさがDebugging Powerであり、また大多数の参加者がDebugのみという仮定が正しいのであれば、HardwareでのOpen Sourceには期待が持てない。
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実際のOpen Sourceに参画している人の割合がどういったレベルの人物でどれぐらい関与しているのかという情報を私は知らない。そんな状況で こういった論議は意味をなさないのであろうが、あたらずとも遠からずではないかと思う。 是非 Open Sourceにどっぷりつかった人物からFeed Backを得てみたいものだ。