今回の中国における反日運動の情報の私のとりかた
TVで
7時のNHK News(夜中の11:30に一日送れで流してくれている)で大まかな話、はっきりいってよくわかんない。疑問だらけ。
ネットで
左から右から、一応朝日新聞の書き方などの比較も入れながらザッピング。著名Bloggerからたどったソースを見比べて ようやく全貌と大まかな原因、中国政府内での政権運動などを含めた舞台裏などぼんやりと雑音入りながらもつかめてくる。
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ライブドア騒動の時も同じようなやり方で情報を集めていた。それで結局詳細な話はネットにしかなく、TVだけの情報だけだとあきらかに情報不足なのは明らかだ。それで私はTVでNewsをみないかと言うとそうでもない。
理由は2つある。
1つ目は分かりやすい。できごとだけを追ってそれを見るのであれば当然TV局の仕事ぶりはすばらしいものがある。手間隙かけて金かけて、映像と音をフンダンにつかって一番伝えやすい方法なのだから当然と言えば当然わかりやすい。これに対して文字列がならぶだけのネット情報は分が悪いのもアタリマエ
2つ目はモノサシになる。公共に向かって万民に発信しているTV局のNewsは様々なイデオロギーやしがらみでFilterのかかったコンテンツであるから、”このNewsがこのような言い方をしているのだから” という尺度を持つことができる。 これがネット一辺倒だと、どうしても自分の嗜好や影響度の強いサイトや意見、また斬新な意見などに傾いてしまう傾向がある。いわばネットという航海に必要な羅針盤として重要だ。
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数年前から話題にあがる類似したトピックスがある。「パソコンとテレビはいつ合体するのか?どっちが主導権を握るのか?」 今はもうあまり聞かれないトピックスだ。
別段決着がついたわけでもないが、もうみななんとなく分かっているんだと思う。もっと正確に言うと、どうでもよくなったんだと思う。
まだ将来どうなるのかわからないが、今答えを求められるとしたら「テレビはテレビ、パソコンはパソコン」であろう。互いに共通した機能をもち、さらに接近していくのは間違いないがいつまでたっても一つにはならないと個人的には確信している。
なぜか?テレビは受像機としての機能に様々な通信機能が付加されたところで用途は映像を見るための道具だ受像機自身のイノベーションだけでもまだまだ続く。対してパソコンは演算・通信機能それに高画質機能とすべてがバランスよくイノベートされていく。向かう方法にづれがあり、包括的に受像機のイノベーションを抱えこむ為にはあまりにも解決しなければならない問題がパソコンにはある。
小難しく考えなくても直感的に言って今、テレビが完全にパソコンに取って代わられるか?と言われたら一人暮らしの若者以外はNoと言うはずだし、Yesという若者も家族を持った自分を想像したらNoというだろう。また、逆は考えるまでもない。
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オンデマンド配信とか、参加型プログラムとか言うものは別にソフトとしてのネットのよさではく、ハードウェアのテクノロジーの新化の賜物で極自然な流れであろう。しかしながら本質的なネットのすごみはソフトな部分。人間が相互にリアルタイムに繋がりあえるといういくことだ。これをマスメディアにそのまま持ち込むには無理があるように思えるし、そうなった時は人類は大きなものを失うことになるのかもしれない。
反日運動をする楽しそうな中国人を見て、単純に悲しみ、恐れ、怒りながら、そんなことを考えさせられた一日でした。