先日洗車に行った時のことだ、行き着けの洗車場でいつものコースを頼むと珍しくきちんとした英語を話すおにいちゃんが話しかけてきた(通常この手の肉体労働力系の仕事には移住組みのラティノがほとんど)。
「フロントガラスにちょっと傷がありますね、Free Wayで走っているとどうしても小石が飛んできて傷かついてしまいます。加入されている保険会社を教えていただければ、こちらにて無償でお直しいたします。すぐにおわりますよ」
むむ、そうなのか。タダか。。。いわれてみたら確かに傷がちょこちょこあるなぁ。やってもらおうかな。
「いかがします?無料ですぐにおわりますから、みなさんおやりになってますよ」愛想のいい笑顔で、私の返事を待っている。
しかしひねくれものの私はちょいと考えた。
私はタダ⇒保険会社が修理代をだす⇒皆がやる⇒保険代高くなる⇒結局その代金はらっているの俺たちジャン
そこで聞いてみた
俺 「これって保険屋が払ってくれるんだよね?」
営業 「そのとおりです」
俺 「それじゃあ結構高値ふっかけても保険屋は払うんだろうね」
(にやりとして)
営業 「規定できまってますので。。。でも通常お客様に修理代いただくよりもずっといいですよ」
そーゆうもんだろうね。こうやってうまい仕組みで潤っている業者さんってあるんだよなぁ。いわば仕組みを利用して、我々は暴利にもかかわらず、必要でもないものにお金を払っているのである。間接的だからきづかないだけで。
無性に腹が立って 「Forget it !! 」と言って立ち去った。
話は変わるが先日コンタクトレンズ購入話になった。
こちらでは医療保険のほかに歯医者・眼科の保険は別々にある。優良企業がこういった眼科の保険などもBenefitとして提供して優秀な社員に還元している。
その眼科保険では年間めがね・コンタクトレンズにかかる費用を年間$100~300ぐらいを提供してくれる。必要あろうとなかろうとだ。そこで皆使い捨てレンズなど、特に必要なくてもとりあえず作ったりしている。
そう、皆がやっているから「自分もやらなきゃ損だ」…からだ。
当然当事者であればそのように考えるのが普通だからその人達を責めるつもりはないのだが、なんだか悲しい。結局は自分たちでクビをしてめているのだ。
与えられた権利なんだから行使して当然ではある。だが必要のなものと、そうでないものを判断できる強い心を持ちたい。きっとそれはモノではなく、心を豊かにしてくれる効果もあるだろう。
税金の使用のしかたなど、エゴがからむところではこのような状況は数多くあるのであろうが、欲深さは身を滅ぼす元である。謹みは我々日本人が持つ美徳のひとつのはずだ。