友人のお子さんが見事第一志望中学に合格されたそうで、その時の苦労話を聞かせて頂いた。エスカレーター式で大学までいけるK大学付属中学は全国でも一二を争う名門だ。それだけに本人だけでなく家族全体・一致団結での受験となるそうだ。
実は正直かなりの背伸び受験で、受かる可能性はほぼないがやるだけやってみる程度だったそうで、発表当日 本人(受験者)は見るに絶えず、お父さん(私の友人)一人が見に行くことになる。そして合格。そしてお父さん号泣。
人目をはばかる余裕はなく、しばらくして連等をせねばならないと気づき、ふと周りを見渡すと号泣する親御さんの群れ。ちょっとしたコーナーや木陰を探してひっそりと気分を落ち着かせようとするも、すべて先客が
あり、そして皆が号泣。
なんとか落ち着いて電話をかける、放心しつつも喜ぶ息子(受験者)、むせび泣き言葉ならない母親。そして塾の先生にも報告したら、先生も号泣。つられてまたもや号泣。
しかしながら当の本人達はからっと喜んで、泣いている子供は一人もみかけなかったそうである。
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これは現代っ子とか世代の違いかとも考えたが、私自身が子供の立場であっても同じ状況になるであろうと確信できる。個人差はあるにせよ、どうやらその線は薄い。
それよりもアメリカ人で同じようなことが起こり得るかという考察の方が面白い。起こりえるかと問われれば、私の知る限りまずありえない。ではなぜか?
ずばり、親が問われる責任の種類が違うからであろう。
日本の場合、子供養育を評価される時にどこの大学に入学させたかというウェイトが非常に大きい。時間やお金、本人の能力など様々な要素・過程は無視され結果だけが親にのしかかる。
アメリカの場合、どのような環境を子供に提供したかで判断される。それはつまりどこの中学・高校に入学させ、どのようなActivity(習い事やクラブ活動)に参加させたかできまる。なぜか、、、それはそのほとんどが経済的な問題で解決されるものばかりだからだ。
公立の場合、大学までは受験がなくどこに住んでいるかで決まる。優秀な学区に住む為には高級住宅地に住む必要がでてくる。あるいは私立という選択になるが、これがまたバカ高い。日本の私立大学並の授業料を幼稚園から払い続けるようなものだ。
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すなわち、良くも悪くもアメリカの場合は環境を提供する事に従事すれば、後は本人の問題であって親の責任ではない。がんばってお金を稼いで、家族との時間をつくり、様々な行事にも参加してがんばっていれば、いいパパ・ママとなれる。
日本の場合は結果がすべて、むろんそこには経済的・時間的な多大なる努力も含まれるが、さらに本人のヤル気・能力など総合的なマネージメント能力が問われることとなる。
。。。号泣するわけである。
ただひとつだけ引っかかる部分がある、なぜ子供が泣かないのか?
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切り傷などしたとき、他人の傷はものすごく痛そうに見える。自分が怪我をしたときに周りの反応ほど(見た目ほど)には痛くないときが往々にしてある。
受験生の親御さんたちの過剰なまでの反応はそこにあるような気がする。冷たい意見かもしれないが、親御さんはあくまでも他人で、痛々しくも健気に努力をしている子供たちが当事者なのである。アタリマエの事なのだが、おそらく親御さん等はそれに気づかずに感情移入しすぎになっているのであろう。
どちらが良いとか悪いとかという話ではないが、子供を思う気持ちと世間体を守る為の自己防衛が合い間って、予想以上に重い責任を負っている日本の親御さんたち。重ければ重いほどその反動は大きくなるものなので、もちっと肩の力抜いていけると、人生楽しくなるような気がします。